このあたりで、ニーズはないかもしれませんが、どこのどんな人がお店にいるのか?
どんな人がこのブログを書いているのか?という姿が見えた方が、言葉ではない感情みたいなものが
伝わったりするのかな?と思い、自己紹介を兼ねた身の上話をさせていただきます。
お店にご来店いただいたお客様や、弊社のお衣裳をご利用くださったお客様はご存知のことと思いますが
わたしたちは姉妹です。
DIARY~shinoとreiが綴る日々~とありますが
日頃このDIARYを更新しているのは私、shino(紫乃)で姉。妹がrei(麗)です。
私は、このウェディングに携わる前、昔から洋服が大好きで、かねてからアパレルの販売員として働くと
短大時代に決めていました。
就職活動をしなければいけなかった20歳の時にさかのぼるのですが、(そんな話からする)
洋服屋さんの求人がほとんどなく、私が選んだのは靴屋。
当時、コンバースやNIKE,PUMAなどの定番商品から、ハイテクスニーカー。RED WINGなどのブーツまでを
幅広く扱うお店。
「このお店で働きたい」と強く思った大きなきっかけは、この店長さんの接客でした。
「私もこんな風に丁寧にお客様と接することができる販売員になりたい!」
この想いの強さ、そして、店長さんの関わりが私を靴の販売員として成長させ、今の原点を築いてくれました。
洋服屋を希望していましたが、ファッションは足元からという言葉があるように
靴からその日の洋服を選ぶという新しい選択の機会を与えてもらったのもこの時です。
当時はスニーカーブームという時代の流れもあり、とにかくたくさんのお客様との出会いや、ご案内の場をいただき、ますます接客することの楽しさと難しさの山を乗り越えながら、のめりこんでいきました。
そして、靴屋での販売実績と、経験が認められ、今や大企業となった大手のセレクトショップに入社。
高校生の時から、洋服に携わり、人に関わる仕事がしたいと思っていた夢が叶ったのは23歳の時でした。
セレクトショップでの日々は、毎日が本当に刺激的でエキサイティング。
お客様に商品をご購入いただくために、お店、そしてお店に立つスタッフが、どのように向き合うのか?という
さらなる大きな視点で学び、自ら実践するという経験をしました。
どこか、華やかで、好きな洋服を着て、オシャレして、お客様と仲良く話をしながら過ごせる毎日を描いていた
甘えん坊で、浅はかな思考しかなかったことに猛反省。
想像をはるかに超えた仕事量と、目的、目標に向かってアクションする生活にとにかく必死でした。
仕事が大変でも頑張ることができたのは、メンバーのおかげ。
やっぱり人と関わりながら過ごすことが好きなんだと感じ
みんなで、あんなに朝から、深夜まで、仕事に一直線な経験ができたことに、今は感謝しかないです。
そして、靴、洋服という身にまとう商品のご案内を通して、お客様が喜んで着てくださること
そのお客様が会いに着てくださり、日々のことや、恋愛のこと、たくさんの関わりをすればするほど
その先にある女性がさらに輝く専門の知識を身につけたいと思うようになったのです。
ここでやっと現在の仕事であるブライダルへの門を開くわけですが
よく聞かれるのです。
「ブライダルの専門学校に行ったのですか?」と。
そうではなく、私は、この会社を創業した祖父の孫。創業し、すぐに他界してしまった祖父の後を
父が引継ぎ、小さなころから、ウェディングドレスや打掛といった花嫁衣装をすごく身近に感じることができる
環境で育ったのです。
今思うと、女性が最も輝かしく、美しい日や、その姿を見ていたからこそ、身にまとう洋服や靴に
興味をいだいたのかもしれません。
父に入社の希望を伝え、5年間の販売員生活で得た経験を、結婚式のお衣裳選びのプロとして
生かし、自分の新しいステージを切り開いていきました。
しかし、待っていたのは、自分が心から素晴らしいと思うことのできない衣裳の数々。
自分の会社なので、こんな風に言えますが、自分が結婚するときに着たい!と思うドレスが
ほとんどありませんでした。
大きな決断となりましたが、取り扱っていたドレスをほぼ入れ替え、当時はめずらしかった
シルクのドレスをレンタルとして案内することにしました。
たくさんのドレスを見て、たくさんのアトリエにお邪魔して、たくさんのデザイナーさんとお会いし
ウェディングドレスの歴史や文化に触れました。
あの時、あんなにお金と時間を使って(笑)直接見て、感じることの価値がどれほどのものであったのか?は
今も計り知れないほど。
自分が本当に美しいと思うことのできるお衣裳を扱いながら、ご案内をすることの楽しさを感じ、
結婚式という1度しかない佳き日に携わることの責任の重さと共に、
それ以上に与えていただくおふたりからの「ありがとうございます」のお言葉や、達成感、幸福感に
満たされていき、この気持ちは今も変わっていません。
主人と結婚したのが27歳。
結婚前に、なんとしても専門知識を身につけておきたいと、アパレルからウェディングへ転身する際に
考えていたことを、すごい直感で行動に移します(こういうエネルギーはものすごい)。
誰にも相談せず、メイクさんになることを決意。
ウェディングの仕事をしながら、南青山にあった専門学校へ入学。
2年間新幹線で通学し、普段のメイクから、舞台メイク、リハビリメイクまでを学び
卒業後、現在の仕事の1つでもあるブライダルのヘアメイク業をはじめたのです。
卒業したからと言って、すぐに現場のお仕事に携わることはもちろんできないので
尊敬する師匠の元で修業をしたり、専属のヘアメイクのお仕事に携わり
長野店アマレーナの開業とともに、お衣裳とヘアメイクの連携スタイルが生まれ
お衣裳を選んでくださった花嫁様の一日を一番近くで見守ることができる、お客様の安心と、描いた理想が
重なり合う充実した毎日です。
ざっとお話しするとこんな経歴。
私の年齢なども推測がつきますよね(笑)
聞かれたら応えますけど、なんででしょう。年を重ねるごとに言いたくなくなるのは(苦笑)
もう少しつづきを。
おかげさまで長野店が丸10年を迎えた年に、事業承継を行い、兼ねてからアマレーナの1Fで
アパレル業を経営している主人が弊社の代表取締役になりました。
主人は、大切な旦那様であり、ビジネスパートナーであり、一番の応援団長でいてくれます。
そして、冒頭でも触れましたが、最愛の妹と一緒に新しい歴史を刻んでいくスタート地点にいられることが
なんとも心強く、描いているこれからを創造できることに感謝しかありません。
人は思ったとおりの毎日を、考えた通りのこれからを送るのだと思うので
大きな世界を描くだけ描いて(笑)
今もこれからも幸せなおふたりをはぐくみ繋がり続けるというビジョンに向かいます。
長々と読んでくださりありがとうございました。
佐藤紫乃